地鶏食堂までの道筋

大学時代はマージャンとCountryMusicに呆け、今から42年前、大学卒業と同時に結婚、2児の父親と成りながらも、仕事そっちのけで渓流釣りに没頭していました。

静岡から連れてきた嫁とは争いが絶えず、一年365日の大半は夫婦喧嘩に明け暮れていました。そんな時、怪蛇「ツチノコ」を世に知らしめた、山本素石氏(故人、京都ノータリンクラブ)の書いた随筆集「逃げろツチノコ」や「釣山河」に出会って、そのユーモア溢れる痛快な生き方に感動しこの世でただ一人の尊敬する人と成りました。

早くに肺がんで逝かれましたが、非常に残念な事です。
故人の著書は、昭和20年代の山村の生業が生き生きと描かれており、故郷の小川で遊んだ幼少期をまざまざと呼び戻してくれるような作品の数々でした。

 

 

ツチノコを一年間飼育した記録・・・木乃倉茂著より

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ツチノコ写真綺麗

ツチノコのポスター写真1

昭和17年夏 長野県埴科郡西条村の山林内で捕獲された、本物のツチノコの写真です。

これは戦時中に日本軍が「化学兵器工場」を長野県に建設中に掘り出され、科学者達に1年間飼育されたツチノコの写真です。

軍上層部の指示で、「化学兵器工場」に携わった科学者達に1年間飼育された時の記録です。

完全な夜行性で、腐葉土の中のミミズを餌に飼育されました。

マムシの持つ毒・・・・タンパク質を破壊する酵素(ポリペプチドトキシン・プロテアーゼ)の他に幻覚症状を引き起こす作用を持つムスカリンとリゼルグ酸ジエチルアシドと言う猛毒を持ち合わせて居ます。

その後、化学兵器工場でガス爆発が起こり、軍の命令で当時の資料や写真は焼却処分され、僅かに残った資料や写真を木乃倉茂さんが、纏めて一冊の本にされたものです。

興味のある方は、福岡総合図書館にアクセスし、キーワードに「ツチノコ」と入力して下さい。

貸し出されて居なければ、読むことが出来ます。

 

そうだ、俺の人生の目標「あの少しばかり社会性の足りん」、オッサン(故人)の生き方だと固く決意し、故人の作品の主人公さながら、雨の日も風の日も寸暇を惜まず山河を駆け回りました。
しかし、飯は喰って行かにゃあ成らんし、会社を2~3、転々としましたが、とうとうサラリーマン資質に何かが欠乏していて脱落。行き場を失くして転がり込んだ先は、家業の福岡中央卸売魚市場内の食堂でした。

 

寝起きの悪い私にとっては、深夜0時に仕事開始のこの職場は地獄の毎日でした。

一刻も早く脱出したかったのですが、家業故「退職届」を自分自身に出す訳にも行かず、転身するまでに16年の歳月を要しました。

ただ魚市場の食堂と言うのは、福岡市職員・商社・荷受・仲買・魚屋・飲食店の店主・荷主である漁師・銀行員さん等・魚市場を縦割りに情報を得られる場所でした。

料理や魚等で解らない事が有れば、お客様に聞けば「親切・丁寧に」教えていただけました。

 

今となっては飲食業に携わる物にとっては良い機会だったのかも知れません。市場外に、一般には商品として出回らない、知られざる旬の雑魚を集め雑活魚料理店「第三共進丸」をオープンさせました。

 

 

この店は出足好調で爆発的人気を集め、終に「市場食堂脱出」に成功!
2年後、店は義理の弟に任せ、友人に誘われ石炭商社に17時から出勤。
酒と鮭鱒釣り邪馬台国探しに明け暮れていました。

 

丁度その頃、鶏料理店をオープンしましたが、右も左も分からない鶏の世界でした。

今では最初に使用していた鶏からすると、 数段上を行く美味しい鶏に辿り着いたと思っております。
現在の当店の鶏は、昔、田舎の庭先で飼育されていた鶏の味を再現したいと思って居ります。

「450日令ブロイラー種鶏のモモ肉」 「600~800日令親鳥」を主力としています。

更に、鶏の部位にも様々な美味しさ、希少価値の有る部位を知り、頭の先から足の先まで、 19種類のパーツを提供しております。

普段食卓に上がる鶏とは全く異なる「鶏の世界」を味わって頂きたいと考えております。

 

 
 
 

味自在誕生

サラリーマンなら3日も続かなかったでしょうが、家業ゆえ逃げ出す訳にも行かず、それから10年間、「如何にして魚市場から脱出するか」そればかりを考える毎日。「これやったらサラリーマンの方がよかったばい」・・・・本音です。

毎夜11時には起きて仕込みの毎日、いつまで経っても同じ事の繰り返しで、来る日も来る日も天麩羅をあげ、魚を煮付ける。
とくにこの魚を煮る作業は苦手でした。

 

起きたての、まだ少量アルコールが残っている体で、魚の生臭みに醤油と砂糖のうす甘いタレを、丁寧にアクを取りながら何度も味見を繰り返す。
毎日、砂糖・醤油・酒・味醂を使うのなら「何で最初から混ぜとかんとかいな?」と今まで誰もが混ぜて使用しないのが非常に不思議でした。

 

人がしてない事をするのは勇気が要りましたが、面度臭さが上回り適当に混ぜてみることにしました。

何回も比率を調整していると、ついにはお客様から「魚の煮方を教えてくれ」と、要望が来るように成り、この時「手抜きの一手が花を咲かせ始めた」のでした。

 

「俺は結構頭が良いばい」と一人悦にいっていましたが、本当は頭脳の問題ではなく、ズボラな性格の成せる技だった事は言うまでもありません。
一人で飲む酒の旨かったこと!それから数年、凝りもせず仕事が終われば近くの渓流へ走り、日祭日は九州脊梁を釣り回っていました。無心にハンドルを操作していると、もしやと言う事に気づいたのです。

 

閃きと疑問

閃いた「アイデア」は、もしかしたらこの煮魚のタレは、ほかの料理にも通用するのではないか、と言う事でした。

芋を煮、天つゆを作り、すき焼き・酢の物・味醂干・丼だし・焼肉・照り焼き・鰻の蒲焼など、利用した人たちからも、これは便利だ、旨かった等、好評も多かったが、反対に辛かった、甘すぎるとの批評も受けた。甘すぎると言う批評は分からなくもないが、から過ぎるとの意見は全く当たらない。

 

要は「甘い・からい」の違いと、味が「濃いい・薄い」を混同している人たちが大勢居るのです。

理論付けしてみると、和食調理では砂糖・醤油・酒・味醂などを使用する頻度が高いのですが、個人の甘さ・からさの好みは、ほぼ一定していると言う事です。

 

つまり砂糖対醤油の比率は、どんな料理にしても、ほぼ一定ですき焼きは甘い方が好きだけど、煮魚はからい方が好き等と言うことはあまりあり得ないのです。

 

要は醤油と砂糖の比率さえ一定にしておけば、後は濃度の問題だと言う事です。

 

使い慣れれば色を見ただけで、何時もお好みの料理が出来上がります。

更に従来通り、砂糖と醤油を混ぜ合わせながら味を付けて行くよりも、砂糖と醤油を前もって混ぜ合わせて置き、そこから甘くするか辛くするか、一方向に味を付けていく方が凄く簡単な調理法なのです。

この調味液を、味を自由自在にコントロール出来る事から『味自在』と名づけて販売しております。詳細説明書を添付していますので、是非一度ご利用ください。

和食調理に関しては、簡単・確実に旨い料理が出来上がる様になります。
手抜きの名人「味自在」・・・確かに、手抜きなのですがインスタント調味液では有りません!

 

味自在

 

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